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大阪地方裁判所 平成7年(わ)1989号 判決

本籍

大阪府東大阪市山手町二三六番地の一

住居

大阪府東大阪市東豊浦町六番一三号

会社役員

辻子孝義

昭和一八年一一月一一日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官酒井徳矢出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一年一〇月及び罰金三〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成三年七月一〇日死亡した辻子丈太郎の長男であるが、

第一  右辻子丈太郎を被相続人とする相続税の申告に関わった鈴木彰(以下「鈴木」という。)、酒井俊輔(以下「酒井」という。)及び福井健一(以下「福井」という。)と共謀の上、被告人の相続税を免れようと考え、被告人の相続財産にかかる実際の課税価格が四億五五五六万九〇〇〇円で(別紙(一)相続財産の内訳表参照)、これに対する相続税額が二億一八九五万六五〇〇円(別紙(二)税額計算書参照)であるにもかかわらず、被相続人辻子丈太郎が他から合計八億円の債務を負担しており、被告人がそのうち四億円を継承したと仮装した上、平成四年一月一〇日、大阪府東大阪市永和二丁目三番八号所在の所轄東大阪税務署において、同税務署長に対し、被告人の相続財産にかかる課税価格が六四一三万八〇〇〇円で、これに対する相続税額が一四六七万四二〇〇円である旨の内容虚偽の申告書を提出し、そのまま法定の申告期限を徒過させ、もって、不正の行為により、別紙(二)税額計算書記載のとおり、前記相続にかかる被告人の相続税二億〇四二八万二三〇〇円を免れ

第二  右辻子丈太郎の二男である辻子仁宏並びに前同様の相続税の申告に関わった鈴木、酒井及び福井と共謀の上、右辻子仁宏の相続税を免れようと考え、同人の相続財産にかかる実際の課税価格が四億五五五六万九〇〇〇円で(別紙(一)相続財産の内訳表参照)、これに対する相続税額が二億一八九五万六五〇〇円(別紙(三)税額計算書参照)であるにもかかわらず、被相続人辻子丈太郎が他から合計八億円の債務を負担しており、右辻子仁宏がそのうち四億円を継承したと仮装した上、平成四年一月一〇日、所轄の前記東大阪税務署において、同税務署長に対し、右辻子仁宏の相続財産にかかる課税価格が六四一三万八〇〇〇円で、これに対する相続税額が一四六七万四二〇〇円である旨の内容虚偽の相続税の申告書を提出し、そのまま法定の申告期限を徒過させ、もって、不正の行為により、別紙(三)の税額計算書記載のとおり、前記相続にかかる同人の相続税二億〇四二八万二三〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

(注) 括弧内の漢数字は、証拠等関係カード検察官請求分記載の証拠番号を示す。

判示事実全部について

一  被告人の当公判廷における供述

一  第二九回公判調書中の被告人の供述部分

一  被告人の検察官調書〔三九〇、三九一、三九三〕

一  証人辻子孝子及び同辻子仁宏の当公判廷における各供述

一  第二九回公判調書中の分離前の相被告人鈴木彰、同酒井俊輔及び同福井健一の各供述部分の各供述部分

一  第三八回公判調書中の証人尾池和雄の供述部分

一  第四一回公判調書中の証人鈴木彰の供述部分

一  辻子仁宏〔三九七ないし四〇〇〕、鈴木彰〔四〇二、四〇三(五三頁最終行から五五頁三行目までを除く。)〕、酒井俊輔〔四〇九〕、福井健一〔四二一、四二三〕、辻子孝子〔三六九ないし三七一〕、撫原桂介〔三七二〕、辻子栄三〔三七三〕、山下茂〔三七四〕、増田義一〔三七七〕、尾池和雄〔三七八(一二頁最初から二二頁五行目までを除く。)〕、阿南和宏〔三七九〕、飯野修芳〔三八〇〕の検察官調書

一  査察官調査書〔三五五ないし三六七〕

一  証明書〔三五三〕

一  「所轄税務署の所在地について」と題する書面〔三五四〕

判示第二の事実について

一  第二九回公判調書中の分離前の相被告人辻子仁宏の供述部分

(事実認定の補足説明)

一  弁護人は、本件正規税額及びほ脱税額を争い、本件申告に際してなされた被告人、辻子仁宏及び辻子孝子の間における遺産分割協議は不成立ないし無効であって、本件の正規税額は、右三名が辻子丈太郎の遺産を法定相続分に従ってそれぞれ取得したものとして計算されるべきであり、税理士である尾池和雄が平成三年秋ころ計算した税額を参考にすれば、概ね、正規税額は、被告人分及び辻子仁宏分についてそれぞれ一億一六七三万六〇〇〇円、申告税額を控除したほ脱税額は、それぞれ一億〇二〇六万一八〇〇円である旨主張し、被告人も第二九回公判及び当公判廷において右主張に沿う供述をする。そこで、この点についての当裁判所の判断を示す。

二  前記「証拠の標目」記載の関係各証拠、とりわけ被告人、辻子仁宏、鈴木彰、辻子孝子及び尾池和雄の検察官調書並びに第三八回公判調書中の証人尾池和雄の供述によれば、本件相続税申告書作成に至る経緯、本件遺産分割協議書及び右申告書作成状況並びに申告後の状況に関し、以下の各事実を認めることができる。

1  被告人は、平成三年七月一〇日に死亡した辻子丈太郎(以下「丈太郎」という。)の長男、辻子仁宏(以下「仁宏」という。)は丈太郎の二男、辻子孝子(以下「孝子」という。)は丈太郎の妻であり、丈太郎の相続人は以上の三名のみであった。

仁宏及び孝子は、丈太郎が生前懇意にし、また、仁宏の経営する会社の顧問税理士をしていた尾池和雄(以下「尾池」という。)に対して、平成三年七月ころより丈太郎の死亡に伴う相続税額の計算を依頼していたところ、同年一〇月中旬ころ、尾池から、法定相続分に従って遺産を分割したものとして、相続税の総額は五億一二〇五万円であり、配偶者の税額軽減(いわゆる配偶者控除のことである。)の適用を受ければ支払うべき税額の合計はその二分の一となり、被告人及び仁宏の税額は合計二億五〇〇〇万円になること及び本件相続税の申告期限は平成四年一月一〇日であることの説明を受けた。

そこで、仁宏及び孝子は、丈太郎の遺産のほとんどが不動産であり、右約二億五〇〇〇万円もの相続税を現金で納めることができないことから、物納で納税することとし、尾池の指導に従い、物納すべき不動産について検討を行った。

このころ、被告人も、仁宏及び孝子から右尾池の説明を聞き、被告人及び仁宏の支払うべき相続税額は合計約二億五〇〇〇万円であることや、その納税方法は物納によるしかないことを理解した。

2  被告人は、従前より、同業の不動産業者であった鈴木から、同人に税務申告を依頼すれば税額を低くして申告することができる旨聞いていたところ、平成三年一二月上旬ころ、本件相続税申告につき、丈太郎から受け継いだ相続財産を物納により手放すこととなる事態を回避したいと考え、鈴木に対し、相続税額を低くして本件相続税を申告することを依頼し、同人の承諾を得た。

その一方、被告人は、そのころ、仁宏及び孝子に対し、本件申告手続については被告人に任せてほしい旨を伝え、右両名の了承を得た。

なお、被告人は、鈴木に対し本件申告を依頼する際、正しく申告した場合の相続税額は、被告人及び仁宏分を合わせ約二億五〇〇〇万円である旨を伝え、右税額は、鈴木からの要請により本件脱税に協力することとなった酒井及び福井にも後日伝えられた。

3  被告人及び仁宏は、本件相続税申告期限の前日である同月九日、尾池税理士の事務所を訪れ、同人に対し、あらかじめ用意していた合計八億円の架空借用証二通を示し、同債務を計上した上で丈太郎死亡に伴う相続税申告書を作成するよう依頼したところ、尾池は、被告人及び仁宏の求めに応ずる形で同申告書を作成することを引き受けた。

(一) その際、尾池は、孝子の配偶者の税額軽減の適用を受けるために必要であったことから、同人の取得する相続財産を遺産分割協議によって確定させることとしたが、丈太郎の相続財産は、積極財産が約一〇億六八〇〇万円、消極財産が約八〇〇万円に加えて右架空債務の八億円、以上を差し引きしたいわゆる純資産価額が約二億六〇〇〇万円であって、右税額軽減の適用を最大限に受けるためには、孝子の取得する相続財産の純資産価額を法定相続分の約一億三〇〇〇万円になるよう遺産分割をする必要があったところ、その分割形態として、第一に、積極財産及び消極財産共に二分の一を取得させる方法と、第二に、純資産価額の二分の一に相当する積極財産のみを取得させる方法とがあったが、時間が切迫していたため積極財産のうちからその二分の一に相当する財産を拾い出す作業ができなかったこと及び架空の疑いの強い債務八億円に手を付けたくなかったことから、尾池の一存で第二の方法を選択した。

(二) 尾池は、右のとおり、価格の合計が約一億三〇〇〇万円となるよう、孝子の取得する財産を積極財産から拾い出すに際して、相続人である被告人や仁宏の意向に沿うよう、右両名と共に孝子の取得すべき財産について相談しつつ検討し、被告人及び仁宏の居住に関する物件以外の物件を孝子が取得するのがよいとの観点から、孝子の取得財産として東大阪市山手町五九六番一及びに同五九六番三の土地並びに同市東豊浦町一一一三番一の共同住宅を選び出したものの、尾池において右三物件だけでは財産の価格の合計が一億三〇〇〇万円に達しないものと考えたことから、さらに同市東豊浦町一一二一番一の土地も選び出し、これら四物件を孝子が取得するのがよいとの結論に至った。そこで、尾池は、被告人及び仁宏の面前において、既に本件相続にかかる積極財産の全部が記載されていた相続税の申告書第11表「相続税がかかる財産の明細書」の右四物件の末尾に丸印を付した上、孝子の取得財産は右四物件でよいかどうか被告人及び仁宏の意向を再度確認したところ、被告人及び仁宏はこれを了承したので、尾池は、右協議の結果に従った遺産分割協議書及び相続税申告書の作成に取りかかった。

その際、最後に選んだ右東豊浦町一一二一番一の土地をも孝子の取得財産に加えたことにより、同人の取得財産の総額が一億三〇〇〇万円を約一〇〇万円超過し、孝子に約六〇万円の相続税が課せられることとなったため、尾池は、被告人らに対してその旨を説明した。

しかし、このとき、尾池は、被告人及び仁宏に対し、遺産分割の方法として、前記(一)の第一の方法が存在する上で第二の方法を選択するものであることや、孝子の取得する積極財産の価格の合計が相続にかかる全積極財産の価格の約一〇分の一になることについてまでは説明しなかったものの、第二の方法による遺産分割協議であることを当然の前提とした遺産分割協議書を作成したが、被告人及び仁宏は、遺産分割協議書の内容についてなんらの異議をも差し挟まなかった。

なお、右協議書は比較的短時間のうちに完成したものの、右申告書は作成に時間を要したため、同申告書については仁宏が翌一〇日朝に受け取りに来ることとし、被告人及び仁宏は、同協議書のみを持ち帰った。

(三) 本件遺産分割協議書は、平成四年一月九日付けで作成され、孝子が取得する財産は右四物件であることを確定し、その余の遺産及び架空債務八億円を含む債務並びに葬式費用については、後に被告人及び仁宏が分割協議をした上でそれぞれ取得する財産を確定する旨の内容となっている。

4  被告人及び仁宏は、平成四年一月九日夜、孝子方において、孝子に対し、本件遺産分割協議書に対する署名押印を求めたところ、孝子は、同協議書の記載内容を検討することなく、また、被告人又は仁宏から詳細な説明を受けることもなかったものの、相続税申告手続については被告人や仁宏に任せていたことから、被告人らが本件相続人三名にとって最も良い方法を選択しているものと考え、本件遺産分割協議書末尾に署名押印した。また、被告人及び仁宏も順次同所において同協議書に署名押印した。

5  仁宏は、同月一〇日午前、尾池税理士の事務所を訪れ、前記のとおり作成を依頼していた本件相続税申告書を受領し、これを孝子方に持参して同人に預け、孝子から右申告書等一件書類が揃った旨の連絡を受けた被告人は、孝子方に赴いて同申告書等を受け取り、鈴木の事務所へ届けた。その後、同日午後、鈴木及び酒井は、同申告書を東大阪税務署に出向いて提出した。

本件相続税申告書には右遺産分割協議書の写しが添付され、また、申告書の内容は、右遺産分割協議書のとおり、辻子孝子の取得する財産は前記四物件のみであることが確定している一方、その余の相続財産については、積極財産、消極財産を含め、被告人及び仁宏が相続し、両者間では遺産分割の完了していない財産である旨が記載されている。

6  被告人、仁宏及び孝子は、平成四年四月ころ、本件遺産分割協議書に従った相続登記を行うこととし、仁宏及び孝子において、仁宏の知人の司法書士である飯野修芳に対して、同遺産分割協議書に基づく相続登記手続を依頼したが、本件遺産分割協議書は物件の表示が余り緻密ではなかったことから、右飯野は、相続登記用に同協議書と同一内容の遺産分割協議書を、本件遺産分割協議書と同じ平成四年一月九日付けで新たに作成し、被告人、仁宏及び孝子は、右新たに作成された遺産分割協議書にそれぞれ署名押印して右飯野に提出した。なお、本件遺産分割協議書記載に従い、孝子が前記四物件を取得したものとして相続登記をすることについても、被告人、仁宏及び孝子の三名とも異議を唱えなかった。

その後、右飯野において相続登記手続を進め、前記孝子取得にかかる四物件について、平成四年五月六日受付により辻子孝子名義の相続登記がなされ、以後、本件脱税摘発に至るも右登記は変更されていない。

7  一方、本件遺産分割協議書においては、孝子取得にかかる四物件以外の不動産等については、被告人及び仁宏の両者協議の上で取得する財産を確定することとなっていたことから、被告人及び仁宏は、右残余の不動産につき両名の間で分割して各自取得し、その旨の相続登記をすることとしたものの、不動産については、被告人及び仁宏の居住している土地が含まれており、基本的にはそれぞれが居住の土地を取得するつもりであったが、遺産分割に際して合筆及び分筆が必要であったため、被告人及び仁宏は、被告人の知人の測量士において測量させた上、平成四年九月ころ、前記飯野に対して相続登記手続及び遺産分割協議書の作成を依頼し、右飯野が作成した被告人と仁宏との間の遺産分割協議書に署名押印して右飯野に提出したところ、その後飯野において相続登記手続を進め、その結果、同年九月八日受付により、右残余の不動産について被告人及び仁宏のそれぞれの相続登記がなされた。

なお、右被告人と仁宏との間における遺産分割の際、右残余不動産の一部について、これを孝子に譲渡し、あるいは登記名義を同人に移転させるといった提案はなされなかったし、その後、本件脱税摘発に至るも、登記名義を孝子に変更させたこともない。

以上の事実が認められる。

なお、被告人は、当公判廷において、平成四年一月九日、尾池税理士の事務所において孝子の取得する相続財産として前記四物件を選定した際、尾池は、被告人や仁宏に相談することなく、自ら右四物件を選び、前記「相続税がかかる財産の明細書」の右四物件の末尾に丸印を付して行った旨供述し、辻子仁宏も当公判廷においてこれに沿う供述をするが、仮に被告人らの供述を前提としても、結局、被告人らは、孝子が取得する財産が右四物件であることを了承したばかりか、右四物件についての所在地等を具体的に認識していたものである。一方、証人尾池和雄は、第三八回公判において、右孝子取得のかかる四物件は、被告人及び仁宏と協議の上選定した旨供述しているのであって、いかに尾池が丈太郎や仁宏と懇意であったとはいえ、尾池が独力で、本件遺産分割協議書の記載のように被告人や仁宏の居住実態に即した形に孝子の取得する不動産を選定することは困難であったものと言わざるを得ないばかりか、相続人である被告人や仁宏を面前にしていながら、同人から遺産分割に関する意向を徴することなく、独断で孝子取得財産を決定することは通常考えられないことからすれば、右尾池の公判供述は十分信用できるものと認められる。

また、被告人は、当公判廷において、本件遺産分割協議書に従って孝子の取得財産について相続登記を行った後、同協議書の枠内で被告人及び仁宏の相続登記を行ったのは、鈴木らが本件脱税に関して税務署との間で折衝している最中であったことから、孝子の取得財産を増やすことができなかったためである旨供述するが、むしろ、被告人、辻子仁宏及び辻子孝子の検察官調書からすれば、被告人及び仁宏は、相続登記は早期に行う必要があるとの認識の下に、まず孝子の取得財産について、次いで被告人及び仁宏の取得財産について相続登記を行ったものと認められる。

三  そこで、本件遺産分割協議の有効性について検討するに、前記認定にかかる各事実からすれば、尾池税理士が本件遺産分割協議書を作成するに当たり、被告人及び仁宏は、尾池に対し、孝子の取得する財産についての意向を伝えたことから、尾池は右意向に従って孝子取得財産を前記四物件と選定し、本件遺産分割協議書を作成したこと、被告人及び仁宏は、右意向を述べるだけでなく、尾池が前記「相続税がかかる財産の明細書」の末尾に丸印を付して孝子取得財産を抽出していく作業をその面前において見ることにより、実際に尾池がどの不動産を抽出しているかについても確認していたことが認められ、これらの事実からすれば、被告人及び仁宏は、本件遺産分割協議書の内容として、孝子が取得することとなる不動産がいずれの物件であるかについて十分認識したうえ、これに署名押印したものと認められる。

一方、孝子は、被告人や仁宏を信頼し、被告人らに対して本件相続税申告手続を任せていたところ、被告人らから本件遺産分割協議書を示され、署名押印を求められた際にも、被告人らの判断を信頼してこれに署名押印したことが認められ、このことからすれば、孝子は、被告人に対して、本件遺産分割協議を含めて本件申告手続に関する全てを委任しており、被告人らの判断を了承したという意味において、本件遺産分割協議書に署名押印したものと評価することができる。このことは、被告人や仁宏はいずれも当時年齢四〇歳代の会社経営者であった一方、孝子は、当時、既に七〇歳近い高齢であった上、夫丈太郎に先立たれて精神的にも困憊していたものと考えられることからしても、十分首肯できるところである。

さらに、前記認定にかかる各事実のとおり、本件申告後、本件遺産分割協議書の内容に従い、孝子の相続登記がなされ、また、右協議書の内容を変更することなく、被告人及び仁宏の相続登記がなされ、その後本件脱税摘発に至るも、孝子名義の相続登記が変更されたり、新たに同人名義の相続登記がなされることはなかったことからすれば、被告人、仁宏及び孝子は、本件遺産協議が有効なものであることを前提に右各相続登記手続を進めていたものと認められる。

以上からすれば、本件遺産分割協議書は、相続人三名の意思を反映したものであって、有効なものであると認められる。

四  以上のとおり、本件遺産分割協議書が有効であることに加えて、前記各認定事実からすれば、被告人及び仁宏は、本件相続税申告書には本件遺産分割協議書の写しが添付されていることや、同申告書の内容は、尾池税理士の事務所における、尾池と被告人及び仁宏との間の話し合いに従ったもの、すなわち孝子の取得財産は前記四物件であるとするものであることを知悉した上で本件相続税申告書の提出のためにそれぞれ行動していたものと認められることからすれば、被告人及び仁宏において、仮に相続財産の具体的な価格に応じた分割割合については認識していなかったとしても、本件税額の算出の基礎となる相続財産の分割状況についての具体的認識に欠けることはなかったものと言わざるを得ない。

以上のとおりであるから、本件における正規税額は、本件遺産分割協議書の内容あるいはそれと軌を一にする本件相続税申告書記載の相続財産の分割状況及びその割合に基づいて計算されるべきであって、具体的には、別紙(一)相続財産の内訳表記載の相続財産の分割割合に従って本件相続税は計算されることとなり、その結果、別紙(二)及び同(三)税額計算書記載のとおり、被告人分及び仁宏分それぞれにつき、正規税額は二億一八九五万六六〇〇円、ほ脱税額は二億〇四二八万二三〇〇円となり、両名分を合計した正規税額は四億三七九一万三〇〇〇円、ほ脱税額は四億〇七九六万五七〇〇円となる。

よって、前記弁護人の主張は採用できない。

五  なお、被告人らにおける正規税額及びほ脱税額の認識についても検討するに、前記認定の各事実によれば、被告人、仁宏及び孝子は、平成三年一〇月中旬ころ、尾池税理士から、本件相続税は被告人分及び仁宏分を合わせて約二億五〇〇〇万円になる旨の説明を受け、被告人らは右金額を脱税すべく八億円の架空債務を作出したものであるから、被告人及び仁宏は、本件申告の前後を通じて、正規税額は右両名分を合わせて約二億五〇〇〇万円であるものと認識していた可能性が高いものと言わざるを得ない。また、鈴木、酒井及び福井においても、同様の認識を有していた可能性が高い。

ところで、平成四年一月九日、尾池税理士の事務所において、尾池が価格合計一億三〇〇〇万円を目標に孝子の取得する不動産を抽出し、前記「相続税がかかる財産の明細書」の末尾に丸印を付して行った際、被告人及び仁宏は、尾池に対して孝子の取得財産について助言をした上、右尾池の抽出作業を見ており、右明細書の右側欄には各不動産の価格が記入されていたこと、及びその際作成された本件遺産分割協議書によれば、前記四物件以外の積極財産と架空債務八億円を含む債務すべてを、被告人及び仁宏が相続することが明記されていることからすれば、被告人及び仁宏は、孝子が取得した相続財産である前記四物件の価格の合計が約一億三〇〇〇万円程度の資産であることを認識していた可能性が高いものと言うことができるが、しかし、そのことから直ちに、被告人及び仁宏において、架空債務八億円の脱税工作が発覚した際の正規税額がどの程度の金額になるかについてまで思い至っていたものと推認することはできない。

六  弁護人は、尾池税理士が、前記二、3、(一)のとおり、第二の方法を採用したことは極めて異例のことであると主張するが、被告人らが尾池税理士に申告した積極財産及び消極財産がすべて真実のものであるならば、税額計算において第一の方法であろうと第二の方法であろうとなんら異なるところはないのである。しかも、本件のように多額の債務がある場合には、その債務を妻に相続させるよりは働き盛りの被告人らにおいて相続させその債務を処理させる方が、より自然な方法であるということもできる。しかも前記認定のとおり、本件遺産分割協議書によれば、そのことが明記されているのであって、被告人らはその内容を熟知していたはずである。ただ、本件は多額の債務が脱税工作のための架空の債務であったことから、その脱税工作が発覚したにすぎず、その責任はすべて被告人らが負うべきであり、その責任を尾池税理士に転嫁することはできない。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、いずれも平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文により同法による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)六五条一項、六〇条、相続税法六八条一項に該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑及び罰金刑の併科を選択し、かつ、情状によりそれぞれ同条二項を適用して右の罰金の額はいずれもその免れた相続税の額に相当する額以下とし、以上は旧刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により判示各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年一〇月及び罰金三〇〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、辻子丈太郎の死亡に伴いその財産の一部を被告人及び辻子仁宏がそれぞれ相続したことに関し、被告人の相続税については鈴木、酒井及び福井と共謀の上、辻子仁宏の相続税については右三名に加え辻子仁宏とも共謀の上、二名分合計四億〇八〇〇万円余りもの高額の相続税をほ脱したものであって、ほ脱率は約九三・九パーセントに達し、納税義務に著しく反する重大事案であると言うべきである。

本件は、合計八億円の内容虚偽の架空の借用証二通を作成し、課税価格の総額を同金額分過少にする方法によって欺行されたものであるところ、その中における被告人の関与の態様についてみるに、被告人は、前記のとおり、従前より鈴木から、同人に依頼すれば税金を低い金額で申告することができる旨聞かされていたところ、鈴木に対し、本件相続税について税額を低くすべく脱税をするよう依頼する一方、被告人と並んで納税義務者である仁宏及び母孝子に対して右依頼を行ったことを話して了解を取ったのみならず、本件脱税は架空の借用証を作成することによって行うとの鈴木からの連絡に対し、架空貸主の名前として被告人の知人の名前を使うことや、右借用証のために被告人の手元にあった丈太郎の経営していた東和工業の印鑑を押捺した白紙の罫紙を利用することを提案し、いずれも実行した上、鈴木、酒井及び福井同席の下で本件架空借用証二通の作成を行い、また、仁宏と共に尾池税理士に対して右借用証二通の架空債務八億円を含めた相続税申告書の作成を依頼し、さらに、尾池において作成された右申告書を、本件申告当日、鈴木の事務所まで届け、その上、本件申告後、東大阪税務署から資料の提出を求められた際、鈴木の指示に従う形で、架空借入金についてそれが実在した旨の資料等を作成したのであって、このように、被告人は、本件脱税を最初に発案したばかりか、その後の脱税工作全体に関与しており、本件ほ脱税額の半分については自らが納税義務者であることをも考え合わせると、被告人は、本件脱税において中心的な役割を果たしたものの一人であると言わざるを得ない。

また、被告人は、本件相続税の支払いは物納によらざるを得ない状況であると聞き、丈太郎から承継した財産を物納によって手放すこととなる事態を何とか回避したいとの考えから相続税額を低くしたいと思い、鈴木に本件脱税を依頼したものであるが、特に同情すべき動機ではなく、このような事情をもって量刑上被告人に有利に斟酌することはできない。むしろ、仁宏及び孝子が、尾池税理士の指導の下、本件相続税を物納によって支払うべく準備を進めていた状況において、安易に脱税の途を選択し、右両名にこれを慫慂した被告人の行動は、非難を免れないものと言うべきである。

以上のとおり、本件脱税の規模及び態様並びにその中における被告人の関与の状況等からすれば、被告人の刑事責任は重大である。

一方、被告人及び仁宏らは、前記のとおり、本件申告の当時、両名分を合わせて、本件正規税額が二億五〇〇〇万円であり、ほ脱税額が合計約二億三〇〇〇万円であるものと認識していた可能性が高い。また、本件起訴後の平成七年七月七日、被告人及び仁宏は、共に本件ほ脱税額金額について修正申告を行った上、被告人は、修正分の税額金額について物納により納税する旨申請をしている。さらに、被告人は、鈴木、酒井及び福井に対し、本件脱税報酬として合計五五〇〇万円を支払った。なお、このうち、酒井からは同人の受け取った報酬のほぼ全額に相当する約一四八〇万円、福井からはその一部に相当する五〇〇万円の返却を受けている。

以上に加えて、被告人は、自己の刑事責任についてはこれを認め、反省していること、交通事犯の罰金前科以外には前科がないことなど、量刑上被告人に有利な事情も認められる。

そこで、以上の事情を総合して考慮した結果、被告人を主文の懲役刑及び罰金刑に処し、懲役刑についてはその執行を猶予するのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中正人 裁判官 伊元啓 裁判官 増田啓祐)

別紙(一)

相続財産の内訳表

平成3年7月10日

被相続人辻子丈太郎

〈総額〉

〈省略〉

〈辻子義孝分〉

〈省略〉

〈辻子仁宏分〉

〈省略〉

〈辻子孝子分〉

〈省略〉

辻子義孝分及び辻子仁宏分の課税価格(1000円未満切り捨て)の公表金額は、それぞれ64,138,000円、実際額は、それぞれ455,569,786円となる。

辻子孝子分の課税価格の公表額及び実際額はそれぞれ131,963,000円となる。

各相続人の課税価格の合計額の公表金額は260,239,000円、実際額は1,043,101,000円となる。

別紙(二)

税額計算書

平成3年7月10日相続

辻子孝義

〈省略〉

別紙(三)

税額計算書

平成3年7月10日相続

辻子仁宏

〈省略〉

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